脳脊髄液減少症・起立性調節障害

脳脊髄液減少症・起立性調節障害

  • お名前:R.Oさん
  • 性別:男性
  • 年齢:18歳
  • 職業:学生
  • 住まい:神奈川県

・ 困ったことは?

病名が分からなかったことが一番困りました。内科か耳鼻科か、それとも神経内科なのか、どこを受診することが正しいのかさえわからなかったことは本当に困りました。MRIやOD検査をしても最終的には「学校で嫌なことありますか?」と聞かれ、結局は進まないままでした。そのため、漢方や整体を色々試した時期がありました。

また、突然学校へ数週間行けなかったため、仲の良い友達に「何か嫌なことしてたらゴメンな」って言われた時も、何の病気か分からなかったため、説明をすることが大変でした。

・ 病院で何と言われ、どんなことをしたか

6つめに行った大学病院で、低髄液圧症候群と診断されました。今まで何の病気だか分からなかったので、病名を聞いたときにうれしくて、両親と「良かったね。」と話したことを記憶しています。 治療法は、初めは10日間入院し、一日2ℓを点滴し、食事とトイレ以外は横になっているという自然療法をやりました。

その後、近いうちは体調が良く過ごせていました。しかし、10日間も横になって過ごしていると体力が驚くほどに落ち、病室から駐車場に行く短い距離で体力を使い切り車の中ではぐったりとしていました。

その後の治療ではアートセレブ治療という治療を2回しました。腰から直接、人口髄液を注射し髄液圧を高めるという治療法です。

この大学病院以外では、特にこれといった治療はせず薬漬けの日々でした。

・ アトラスオーソゴナルの施術を受ける度にどんな感想を持ったか、どんな変化があったか。

最初の数回は特に目立って変わったこともありませんでしたが、4回目の後にはハンバーグ屋さんで夕食をとれるところまで元気になりました。6回目の後にはアメ横まで行けるようになっていました。その頃には、目覚めたときの目の重さというか、つらい一日の始まりという毎朝の感覚がなくなっていて、辛かった吐き気も頭痛もだんだんと弱まっていきました。また、手汗がひどかったのですがそれもなくなり、対向車の前照灯が異常にまぶしかったのがなくなり、姿勢もよくなっていきました。感じていたのは、その病気だけを治す治療ではなく、身体の根本を正してくれる治療というのを肌で感じました。

・ 今後の希望

今は体調も良くなり、当たり前のように学校に通い他の生徒と変わらない学校生活を送れています。病気になるまでは、部活の毎日で家でも自分の時間を作れなかったのですが、病気のおかげで、大の嫌いだった読書が大好きになり、興味なかった政治や経済、世界情勢などにも興味を持つことができました。また、献血に行くようになったりもしました。一番大きな方向転換は、昔好きだった料理をまた好きになれたことです。高校卒業後には調理の専門学校に進学し、調理師になる予定です。それまでは、スポーツトレーナーや鍼灸師などしか選択肢を見つけられなかったのですが、一度部活と距離をとれたことで選択の幅を広げることができました。

これからは、RYJUに行く回数を少しずつ減らしても健康に過ごせるようになりたいです。

ヘルシーラボRYJU体験談~4年半経過~

(4年半経過~親御さんからの報告を頂きました)

去年二十歳を迎えた息子がRYJUに出会ったのが4年前高校2年7月でした。

当時は、朝、目を覚ました時から頭痛がし、めまい、軽い吐き気。

特に午前中は体調がすぐれず、電車通学でしたが、それもままならず、車で1時間かけて送っていきました。

息子は、硬式野球を見据えて、小学校6年間ソフトボール続けたほど野球好きで、中学校ではもちろん高校野球を夢見て頑張っていました。

中学校に入り足を痛めた事がきっかけで整骨院にお世話になり、そこで背骨が湾曲であることを指摘され数か月通っていた頃から度々頭痛を訴えるようになりました。

かなり強い力で “ボキボキ” としていたので、多少気にはなりましたが・・・それが直接頭痛に関係したかどうかは、わかりません。

ある日、突然に息子は、朝なかなか起きれないようになりました。

今までは、寝起きがよく、元気よく“おはよう”というのに、その声は聞かれないようになってしまったのです。

内科、耳鼻科、大学病院へ行きMRIを撮るも特に異常なし、ほっとするものの原因がわからず、脳神経外科の頭痛外来に行きました。そこでも、MRI、簡単な検査をしました。診察結果は、起立性調節障害。さらに強い頭痛薬と、青いカプセル錠が処方され、薬の内容を確認したところ“高揚剤でした。

それと同時に、頭痛で顔をしかめた息子に手渡されたのは、森の中にある施設のパンフレット・・・。

結局、学校を変えたら治るのでは?と薦められたけど、薬もパンフレットも直ぐにゴミ箱にすてました。その後、その病院は、行っていません。

それから、頭痛に良いと思われる漢方薬、何ヶ所かのボキボキしない整体へも行きました。

その中で、暫らく通った整体があります。そこの整体は、最初毎日行き、その後週2~3回のペースで通いました。徐々に頭痛も消え、学校にも行けるようになりました。

野球もできるほどになり、念願の野球の盛んな高校にも無事に入学することができました。

新たなスタートが切れるという期待と同時に、整体を2週間開けると頭痛が出てきて、学校生活に整体通院が切り離せない生活となり、不安があったことを記憶しています。

そんな中、野球の合宿に参加し帰宅した息子は、脱水症状を起こして、内科で点滴を受

けたのがきっかけで、そこの医師から、脳脊髄液減少症ではないかと熱海の大学病院を紹介してもらうことになりました。

初めて聞く病名に戸惑いながら、学生であることを考慮していただき、通常、1、2年先の予約になるのですが、早い段階で診ていただくことに、、、。

繋がった座席に座っていられない患者が横になっている待合席。そこから見える暗くて広い海。今でも決して忘れることはできません。

そこでは、様々な検査をしてから、おおよそ脳脊髄液減少症ではないかと診断されました。

その時、原因のわからない不安より、病名がついた安心のような感情を、息子も私たちも感じていました。

初めの入院で、10日間水分のみの点滴。

自宅からは車で一時間半。入院している息子の病院に何度行ったことか。

退院してからもしばらく安静で、これで体調が良くなる人もいるようでしたが、鍛えた筋肉が落ちる一方で、体調はあまりよくなりませんでした。

頭痛、立ち眩みは、その後あったり、なかったり、何とか学校が進級できるように無理をしながら通っていました。

その後の検査で、髄液の漏れはなく、脳内の髄圧が足りないのが分かり、髄膜内に直接髄液を注射するアートセレブ療法を受けました。すると、その時は良くなりますがまた逆戻り。

二度目にアートセレブ療法を行ったときに、ふと、このままで良いのだろうか?これ以上身体を痛めて定期的に髄液注射を打つような生活ではだめだと思いました。

(実際に注射は相当痛く、後の話で、当時、本人は治りたい一心で繰り返す検査も不安で痛い注射も受けましたが、実際は相当辛かったそうです)

その後、学生である今のうちに、親である私達が行動するしかないと、とにかく時間さえあればネットで調べていました。

ようやく辿り着いた “ヘルシーラボRYJU” 。

気になるものの数日間にわたり、口コミ、体験談を何度も何度も読み返し、高校2年の夏休み前に勇気を出してメールをし、次の日に電話をしました。詳しい話をし状態を聞いていただくと、明日来てくださいと言われ主人と三人。

初めての受診の日。

治療台に横になり、触診、左右の足の長さ、立った時の左右の肩の位置、腰の位置、背骨が曲がっていないか?などを診ていただき、どれも左右非対称、背骨も左右に蛇行していました。(家に帰り風呂場で背骨の写真を撮りみんなでびっくりしたほどでした)

先生の話では、第一頚椎と第二頚椎のズレを指摘され、そこがしっかりと収まっていないと背骨のずれから体のずれにつながり、色々な症状を起こすと聞き、そこが正常な位置に戻れば、治るから大丈夫というしっかりとした言葉で説明していただきました。

その時の手帳には、女性の先生なので色々と不安なことも聞けて、ほっとしました。

とにかく信じて通ってみようと書いてありました。

帰り際にトイレ、食事、お風呂以外はなるべく“安静にして横になっているように”(第一頚椎を正しい位置に直したのに動いてしまうと戻ってしまうからと言うことでした)と、注意事項と今後の治療計画、最適な通い方の提案用紙をいただきました。

そこには、

急性期。週2回を2~3か月

回復期。週1回を3~6か月

予防期。月に1回。

とおおよその目安が書いており、その後、慌てず、焦らずに根気よく治して行こう‼と、本人も、目標になり励みになりました。通っている途中不安になるときもありましたが、この治療計画を見ては勇気づけられました。

3日後の二回目のリュジュ。その日も特に変わった様子もなく。

次の日の朝の事が手帳に、

” 朝の目覚めの時、眼が明らかに違い、声がしっかりしている。”と書いてありました。

その頃は、起きるように声を掛けてもなかなか起きる事ができず、辛そうな顔をしてやっと起き上がる状態だったのを覚えています。

3回目の時に、先生から少し良くなっているよと言われ嬉しい。

5回目の頃には息子も、自身の体の変化に気づき始めていた頃で、毎回、車で通っていましたが、施術前は、車のライトがとても眩しく、それが嫌で座席を倒していましたが、施術後は、眩しさもなくなり、ハッキリ見えるようになっていたり、また、自分の足で立っている感覚など、そばにいる私たちも、本人もわかるからこそ、自宅から高速で1時間半。毎回通うのが楽しみで仕方なかったです。

夏休みも、先生の言う通り息子は、トイレ、食事、お風呂以外はあまり動かず、治療に専念していました。

そのかいあって、”3か月後には、2週に一度で良いですよ”と言われ。学校へ行くのも車での送迎ではなく、電車通学が出来るまでに良くなりました。

時には、体調がすぐれず、学校を休む日もあり、また以前のように戻ってしまうじゃないか?と思う不安も、先生に、”大丈夫よー、前には戻らないから~”と笑顔で言われると、大丈夫なんだ。と安心しました。

そして、とにかく良くなってきても、定期的に通っていこうと改めて思いました。

高校3年の最後の夏には、野球部のマネージャーとして参加し、暑い夏も乗り越える事ができたときは”感謝”の気持ちでいっぱいでした。

体調が安定しても、予防期として月に1度を目安にして通っていましたが、通い始めて4年。

最近では、数か月空いても、朝から晩まで忙しく学生生活を楽しんでいます。

早朝バイト先から学校へ、学校からアルバイト。

休みの日には、友人と富士山登頂に海外旅行。 ”気圧の変化も何のその” です。

辛かった時期を懐かしくすら感じてしまうほど、あの時の決断、RYJUに出会えて本当に良かったと感じ、日々感謝しています。

そしてあの時、必死に治療方法を探して時間を割き口コミを繰り返し読んでいた自分を思い出し、今、何かのお役に立てればと思い、今回、当時の手帳を見ながら書きました。

一昨年、私の腰痛を機に、夫婦で月に1度を目安にRYJUに通っています。

今度は、自分達の健康を考える番ですね!

私は、息子ほど施術を受けた瞬間は、何か身体の変化を感じることができないですが、今まであった偏頭痛、肩こりが、あれ‼、最近ないな? と不思議に感じています。

” 健康第一 “が家族の幸せです。

これからも、よろしくお願いいたします。

- 以上 -