脳脊髄液減少症で不登校だった高校野球児が立派な社会人になりました
5年前に脳脊髄液減少症で西洋医学の治療を受けていたが、
著しい改善が見込まれず当院に身を託してくれた高校野球児が
この春、立派な社会人になり親御さんの元から遠く離島へ旅立つことになりました。
脳脊髄液減少症で苦しんでいる皆様の情報となればという善意のお気持ちで、写真提供していただきましたので参考にして下さい。
<経過>
2014年8月高校2年の野球部の夏の合宿中に嘔吐で病院へ。
以後、朝起きれず。
起きてからも午前中は体調が悪く吐き気があるため朝食が食べれない。
3件目の内科で脳脊髄液減少症の疑いがあるため専門病院を紹介される。
9月には専門病院での治療を受け、12月には人口髄液を入れる治療を受ける。
一時的に学校へ行けるまでに回復したように見えたが、
通常の生活をすることは出来ずに2015年6月に2回目の治療を受ける。
(僕の将来はどうなるのかぁ・・・)
という不安だったそうです。
2回目は、全く回復の兆しもないため親御さんが様々調べつくし
2015年7月当院に初診でいらっしゃいました。
以下写真は、当初自宅で撮られたようです。
脊椎は捻れており、脊椎を正中に維持しようとすると首を大きく右に傾けなければならない体になっております。本来頭蓋骨と脊柱は脳と中枢神経を守るためにあるものです。そして脳の神経伝達は、脳の中心である視床下部より真っ直ぐに中枢神経から末梢神経へと伝達した方が正しい指令が素早くいき渡るのです。また、血流も脳脊髄液も骨だけに限らず血管も硬膜etcにも捻れがあるので本来大量に脳へ送られていかなければならない体内物質が送られなくなっていたので、脱水状態になると途端に体調が悪化して回復できなくなってしまうのでしょう。
発症は、高校2年だが中学2年の時より頭痛で休むことが度々あったようでした。喘息の既往あり。
当院に来る直前は、吐き気で食事が食べれず1ヶ月半で68kg→58kg(10kg減)朝食・食べれず、昼食・粥少々、夕食・蕎麦または素うどん半人前の状態。
最初の2週は、週2回の施術。以後週1回。学校もいける日が出て、2ヶ月を過ぎた頃には吐き気は無くなりました。冬になる頃には野球部にも顔出しできるように。そして進学も半ば諦めていたものが、調理専門学校へ通うことができるようになりました。元気になると無理をし、頚椎の調整に来院し(それでも月1回の調整でOK)学校生活を満喫するようになりました。
4年経過する頃には富士山に登ることもでき、そこで外国人のお友達ができたそうです。そのお友達の国へも遊びに行けたと喜んでいました。通常、脳脊髄液減少症の方は気圧の調節が困難のようなので眩暈や吐き気、頭痛が出るため山登りや飛行機は乗れませんよね。
こんなにも元気なり、人生の一番良い時を謳歌できるようになって、私も嬉しかったです。
最後に背中の写真を撮ってもらいました。病気で痩せ細った体も立派になり、何より脊椎と頭が真っ直ぐになってよかったです。
社会人となり、沖縄へと旅立って行きました。
多くの方が、上部頚椎の不整合により様々な症状に悩まされています。難病と言われる方々は、交通事故後や激しいスポーツをしていた、小さい頃の転落事故、難産が影響しています。
病院に行くのも必要です。
しかし無意味に時間が過ぎ人生がうまく回ってないと感じるならば、私どもの上部頚椎の調整を受けられることをお勧めいたします。今も多くの方が、家から出れない、人生を楽しめていない方が多いと感じるため治療院を開きました。一人でも元気に楽しい人生が送れるよう願いつつ、仕事に励んでいます。
K君、資料提供ありがとうございます。K君は、今も脳脊髄液減少症で辛い思いをしている人が助かることを願っていろいろ協力してくれました。
(年齢・病気の経過etc個人差がありますので、全ての方が同様な経過をとることではありません。詳しいことはお電話で問い合わせください)